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反響の部屋(仮題)

 油滴も風鈴の音も絶えて、おれは否応なしに内省的になっていった。ぴくりとも動かぬ寸白に苛立ちを感じ、そうしておれをここに追いやった連中について思い出そうとした。

 その巨泡に名はなかったが、世界最大の泡体であることに疑いをさしはさむ者もまたいなかった。
 実際、それは不必要に巨きかった。暖まるのに時間がかかり過ぎたし、声は端々に届く前に減衰してしまった。
 だから使われることだってほとんどなかった。おれの記憶にある限りではたったの二回。どちらも両家の会合の場としてだ。
 思い出したくもないそれら会合については今はいい。問題は三度目があったということで、集まった面々は心底うんざりした顔をしていた。
 井筒側にはそれでも、身内の失態からの出席であることもあり、しおらしい声をあげようとの努力をしていた。寸白の癒着がひどい者の、喉を引き攣らせての発声は、なるほど憐憫の情を湧き上がらせるだけの材料としては充分で、そうした目論見はある程度成功しているようだった。
 対してこちら、我らが筒井筒のみなさんときたらひどいものだった。ある者は寸白に潜り込み、ある者は腋腺から攻撃臭を放って、思い思いに不平不満を表現していた。敵意を剥き出しにする者はそれでも少数派で、はやく温かい家泡に帰りたいというのが、多くの者の偽らざる心境だったろう。
 おれとしてもまったく同感ではあったが、それにしても堪え性がない奴が多すぎるのではないか、横溢する大音声と臭気に、今や巨泡

 

   *

 

 E. aspergillum Owen号は予定どおりに軌道に投入され、設置された装置のいちいちは順調に稼働を開始した。
 外殻表面に設置された太陽光電池からの給電を受けて、Venusもまた目覚めつつあった。
 公式の取り決めの上では、Venusには一切の固有名が与えられなかった。ある技師が提案したVenusという名はだから、法的に妥当でないとして却下された廃案に過ぎなかった。
 しかしVenusに名前というものを仮定するならば、ふさわしいと言える唯一の選択肢でもあった。
 Venus――彼女の物理的な基盤は、Owen号の各所に配置された電算機と、それらを結ぶ通信網にあった。最大の計算資源を有するひとつは心臓部として、二重の隔壁の内側、均一な円筒の重心に置かれた。

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 (...)

 

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 物心ついてからの数十年、彼女の計算資源はもっぱら、Owen号の姿勢制御に費やされた。
 太陽系に張り巡らされた観測機の網が絡めとった、衝突の可能性がある天体の一覧を更新し、時には軌道を修正した。躯体の回転速度を計測し、必要に応じて減速、加速した。一切の調整は表面の、六十四のスラスターからのイオン推進によっておこなわれた。
 いまやOwen号は、親戚の最年長者となっていた。息子たちは父よりずっと軽くてすばしっこく、もっとおしゃれななりをしていた。

 

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 (…)

 

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 誕生から百五十年と少しして、Owenの観測機はリストにない小天体の接近を観測した。機体外の観測機群からの更新が行われなくなってから、すでに十余年が経過してのことだった。
 比推力の理論値を参照すれば、もはや衝突そのものが避けられないことは明らかだった。Venusは電力のほとんどを回避のため振り分けたのち、二世紀前に定められたとおり、二つのフェイルセイフを実行した。
 彼女はまず、居住区の住民たちに休眠状態に入るように働きかけた。住民の九割が休眠に入ったことを、眠殻の稼働状況から確認した。
 並行して彼女は、衝突予定地付近の太陽光電池を外殻の内部へと引き込み、代わりに殻外に泡状の素材の前駆体を塗布し、そうして自身も休眠に入った。
 反応による膨張の終わりと時を同じくして、衝突が起こった。

 

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 (…)

 

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 まだ若かったOwenは頭をひどく打ち、以前よりもふらつくことが多くなった。
 彼のよたよた歩きはまた、足を悪くしたこととも関係があった。消化器《プラント》ももう以前のようには働かなかったし、軽い神経症の兆候すらあったのだ。
 目覚めたVenusが目にしたのは、そうした想定を超えて深刻な被害だった。原因の調査をするよりも早く、彼女は斥候探査機の製造を開始した。もはや自分自身より他に、頼りにできる存在はいないと結論づけたのだ。
 人命と資源を長期にわたる危機に陥れ、そのうちの決して少なくない部分を奪い去っていった惨禍の直接の原因は結局のところ、エアバッグ作動試験の不徹底だった。彼女は一連の報告を送信しはしたが、返答を待っても時間の無駄だということもまた諒解していた。
 ほどなくして、少しばかりましな代用品の合成がはじまった。

 

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 (…)

 

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 数世紀が経過し、彼はまたいくつかの打撃を受けていた。
 今や自転はほとんど停止し、スラスターは軌道修正にのみ使われていた。
 これは彼女の判断によるものだった。彼女はもうずいぶん前に、信頼をおける外部機関との通信を確立するまでの、無期限の耐久期間に入ることを決定し、しかるべき手段のそれぞれを着実に実行していたのだった。
 Owen号とその住人を、できうる限り永らえさせること。
 できうる限り両者の、軌道投入の当初の姿をとどめること。
 ふたつの相反する命題の間で彼女は逡巡を重ねた。数ヶ月を費やして導き出された結論は、より存続の側に傾いたものだった。
 具体的には姿勢制御の方針変更と、それまで居住区に確立されていた生態系自体の大幅な改変。彼女は円筒を二分割し、半円を底とする二つの区画を指定し、それまで透明にとどめおかれていた外殻に手を加えた。
 Owen号とその住人は、より静的な恒常状態への移行を開始した。

 

   *

 

 (未完)