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(日本)近現代文学・レポート

ちゃちゃっとやっつけたぞ。もうちょっと量を増やせたら、pezo.blog.jpに移すかも。

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作品について

 『都市と都市』は英国人作家チャイナ・ミエヴィルの、現時点での代表作である。

ふたつの都市〈べジェル〉と〈ウル・コーマ〉は、欧州において地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさった特殊な領土を有していた。べジェル警察のティアドール・ボルル警部補は、二国間で起こった不可解な殺人事件を追ううちに、封印された歴史に足を踏み入れていく……。ディック‐カフカ的異世界を構築し、ヒューゴー賞世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジイの各賞を独占した驚愕の小説

――『都市と都市』キャプション

 『都市と都市』――原題も"THE CITY & THE CITY”だ――題名が明快に示すように、この小説における主人公は人ではない。

  確かにティアドール・ボルルは視点となり語り部となって、ふたつの都市の歴史や言語、生活や社会構成についての詳細を教えてくれる。しかしながらそうした情報、事件捜査に関わって光を当てられる都市のディテイルは、あくまで都市の活写を目的として記述され、ボルルの内面を掘り下げることに寄与しない。

 この小説の主人公は、断言するが、都市そのものだ。

 

設定について

 ……紙幅の都合もあり、考察を急いだ方がよさそうだ。べジェルとウル・コーマ。国境を接するふたつの都市国家が帯びる奇妙な性質とは何であったか?

[…]社会体制の違うふたつの都市がひとつの土地に同居するといえば、(壁が崩壊する以前の)東ベルリンと西ベルリンを思い出すところだが、べジェルとウル・コーマのあいだに物理的な壁は存在しない。にもかかわらず、ふたつの街のあいだには厳然とした区別があり、両国の国民はたがいに相手の国が存在しないものとしてふるまわねばならない。そのため、一方の都市の住人は他方の都市の住人(および建物や車など)を見ることも、声を聴くことも禁じられている。ふたつの都市国家が同じ場所に共存していることは、けっして認めてはならない公然の秘密なのである。[…]

――『都市と都市』解説 p.518

 ふたつの都市と、そこで通用する奇妙な制度。『都市と都市』の根幹をなすこれら設定は、こうして記したところでリアリティからかけ離れている。

 そんな奇想に肉を与え、実体をもった存在としてべジェルとウル・コーマを描いてみせたのがミエヴィルの豪腕なのだが、彼がここで用いたあらゆる手練手管についての検討はひとまず置いておくとして(まずミステリという形式の選択に注目されたし。ポー以来、ミステリとは都市の文学であった。警察制度と集合住宅……/東欧のどこか、という舞台の選択もまた巧みである。『見えない都市』において都市からその「重み」を奪い去ったカルヴィーノの手法と比較すると……)今回は描き出されたリアリティそのものについて、おそらくはそこに潜む、現代の都市生活者にとっての主観的な現実感覚について、考えてみたい。

 

時代について

[…]べジェルの歴史上、だいたいいつの時代でもよくある施設が、ダプリール・カフェだ。イスラム教徒とユダヤ教徒のコーヒーハウスがそれぞれ隣り合って店舗を借り、ひとつの店名と看板、ひとかたまりのテーブル席と可動式の仕切り壁を共有する。どちらにもカウンターとキッチンがあり、ハラルとカシャルというそれぞれの律法にのっとった食事を供する。[…]

 ――『都市と都市』p.39

 ペレックが見出したように、アパルトマンはすなわち、主観を封じ込めた空間の連続であった。カルヴィーノをして「小説史上最後の、真の「事件」をなすもの」と言わしめた『人生 使用法』では、都会生活者の多様な主観のあり方が徹底して書き込まれた。 

 そうした大胆な文学的実験は、もちろん現代という時代。国民国家の、都市の、アパルトマンの時代の精神を繁栄してなされたわけであるが、ではミエヴィルはどうか?

 新しいぶどう酒には新しい皮袋を。コールハースの意見を聞こう。

[…]開発の巨大な波がスピードを上げながらこの地球を変貌させているかのように見えるが、この波によって変貌しつつあるものがもう一つある。それはさまざまな歴史保存体制によって変化を禁じられた地球の表面積が、急速に拡大しているということだ[…]

――『S,M,L,XL+』p.94

 

 全球的な視野において、現代とは複層の時代である。異なる欲望、異なる信条、そして単一の技術が、惑星の風景を次々に塗り替えてゆく。コールハースのいうところの「ジェネリック・シティ」――個性を剥ぎ取られた機能的な都市――は、確かに新興国をはじめとする諸地域を席巻した。

 しかしながら、その一方では、個性を声高に主張する都市もなお、根強く各地に分布している。(ここ京都も一角を担う)そして国際社会へと視線を投じたとき、見えてくるのは止むことのないイデオロギーの対立である。

 国境は一方で薄まり、一方で濃くなろうとする。連帯と分離が並行し、その全貌を個人が俯瞰することはもはや不可能と言っていい。急速にリアリティを失う現状に、幻視を通じて確固たる形を与えるのもまた文学の仕事であった。ミエヴィルの書く不条理の都市は、実のところ不条理でもなんでもない。それは現実。我々が見ることの出来ない、あるいは見ることを拒んできた現実の、紛うことなき一側面なのだ。

 

リアリティをめぐる冒険

 文学は変転する時代の中で、個人の自意識を介した現実について、リアリティについての思索を凝らしてきた。秘められた内宇宙には確かに、永遠のテーマの名にふさわしいだけの豊かさがあった。そうした試みはまた、意識についての自然科学の成果を踏まえたものでもあった。

 現代という時代が抱える複雑さには、内宇宙に比肩しうるものが確かにある。人工物――例えば建築、都市、社会――は単なる無機質な羅列などではありえない。それは無数の自意識の投影なのだ。ミエヴィルは小説を、コールハースはエッセイの形式を用いて、都市を読み解こうと試みた。

 結果はいかなるものとなったか?

 大成功。というのが私の答えだ。

 

参考文献

 チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』日暮雅通訳/ハヤカワSF文庫 2011年

 イタロ・カルヴィーノ『アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ』米川良夫・和田忠彦訳/岩波文庫 2011年

 レム・コールハース『S,M,L,XL+』大田佳代子・渡辺佐智枝訳 ちくま学芸文庫 2015年

 ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』塩塚秀一郎訳 水声社 2003年