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僕がKindleを買わない理由

何となく表明せねばとの衝動が。
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 Kindleは素晴らしい。万巻の書物をスレート一枚に収め、バッテリは保つしコンテンツは廉い、何ら背景を持たない消費者として――つまり、本を単にコンテンツとして捉える消費者として――選択するとき、買わない理由はどこにもない。
 だが一方で、消費行動とは常に意思表明であり、何かを選ぶことは何かを選ばないことでもある。Kindleで本を読むこと、常にAmazonを介して本を買うことは、同時に「書店で本を買わない」「紙の本を拒絶する」ことを意味してもいる。
 すべての本がオンラインでやりとりされ、紙の本は贅沢品となる未来。装丁や紙質のこだわりに思いを馳せることのなくなった未来。そういう未来は一方で、素晴らしいものではあるのだろう。
 迅速な流通。更なる効率化。リソースの節約。そういった価値を否定しようとは思わない。もし僕が過去を持たない人間であるのなら、すぐさま飛びつくことうけあいだ。しかしながら僕を含めて多くの人々は、自らの経験に拘束され続ける。
 初めてお小遣いで買った本の手触り、自分の本棚に本を収めるときの気持ち。またあるいは、贅を凝らした装丁に見入る瞬間……。物質としての実体を持った本が所有の欲求を満たしてくれることを、僕たちは経験によって知っている。Kindleにすべてを任せることは、そういった経験を裏切ることにもなる。消費は選択で、選択は意思表明だ。ぼくはKindleを使わない。その有用性を十分に理解し、それがもたらすであろう未来に賛意を示しながらも、あくまで紙の本を買い続ける。
「だって、それが人間じゃないか?」
 つまるところ僕は、そういう使い古された台詞を言いたかったと、そういうわけなのだ。