水子供養シリーズ

 思い出さねばならない残された時間は多くないのだ

 うす暗い。青味がかった鼠色の光が満たす。壁に接した小さな机。焦げ茶。鈍く光るニス。屈んだ身体に触れるぬるくしめった空気の塊。首を捻って、流れてくる方向に顔を向けようとする。頚椎の違和感。窓を見る。机と似た風合いの用材で作られた田の字の枠。嵌め殺しのガラス板。半分ほど開いているが、外は満足に見えない。腰掛けていたベッドから立ち上がろうとする。金属疲労のためだろうか、スプリングが軋んで音を立てる。重い窓を押し開きながら顔を出す。三階か四階にいるらしい。眼下の通りを行き交う車の色。合成塗料。小雨が降っている。

 こっちじゃないのか……? ならば……

 窓を背にして、身体の主人が振り返る。背中に数滴の水滴がかかる。ドアへと通じる通路には影が指している。視界は上へ動き、時計が入り込む。白い秒針がひととき見え、すぐに失せる。

時計。

 鍵だ。

 分針の先端に注意。きわめて速く回転している。先端を見ていては文字盤は読めないので、輪郭さえもあやしくなってくるだろう。思いだせ。解凍をはじめろ。

 

 解凍。凍結されていた情報が解き放たれ、こちら側の中枢神経系の中で活動をはじめる。

 ぼくは思い出す。

 

「頭を動かすなよ、最後にもう一度確認事項だ」

 技師の声。かれはぼくの同僚で、

 

 脳には過去に感じられたすべての感覚質の痕跡が残っていて、それらの再生により過去への没入が擬似的にではあるが可能である。没入の精度向上のためには、電磁気的に脳を過去の状態に近づける同期処置が不可欠であるが、この処置により現在の記憶は混濁する。記憶混濁を抑えるために生み出されたのが神経対位法である。これは同期処置によって意識の全体像を過去のそれへと近づけながらも、没入に際して必要なだけの記憶を保存するためのセオリーで、情報の凍結による解凍のふたつの手続きによって完成する。神経対位法の理論においてが果たす役割とは、同期処置によって生じる記憶混濁に際し、没入を遂行するために必要なだけの情報、すなわち神経対位法そのものの内容から没入の目的にいたるまでの詳細を遺漏なく保存し提示することだ。

 

 知りたいのはまさしくそれ、没入の目的なのだ。

水子供養シリーズ

 ガラス越しの法務官が手を振る。外部者用白衣の襟元から覗く、黄色い樹脂製の管理タグ。彼女がなんとか微笑んで見せると、法務官も強張った表情を解いて、心配ないと何度か頷く。
 忙しく動きまわる数人の技師に、壁の向こうの姿は隠される。
 至るところに塗られる消毒薬の臭いが鼻孔を満たし、それもチューブが挿し込まれると判然としなくなる。侵入する気流の感触は快いものではなく、彼女はほんの少し顔を歪める。技師は意に介することもなく、予定されていた作業を終えて、そうして彼女を覗き込みながら告げる。
「さあ、目をつぶって」
 弛緩してゆく自分の身体を、身体を支持する冷たい金属を感じながら、彼女は言われたとおりに瞼を閉じようと試みる。視界に入ったふたりの人物の像が、じわりと輪郭をぼかしながら背景に溶け込み、やがてすべての光景に幕が、ゆっくり、ゆっくりと降ろされてゆく。

 潮の香に彼女は振り返る。蒼穹と、オリーブのしがみつく岸壁を額縁にして、眼下には葡萄色の海原がのたくっている。昼下がりの入江。波はこの上なく穏やかだ。
 立っていた高台から砂浜に向けて、けもの道が蛇行しながら下ってゆくのが見えるが、道にも浜にも足あとは残らない。風だけが丈の高い草を揺らして吹き抜け、淡く染まる両頬を交互に撫でる。
 視線は水平線に注がれたままだ。彼方に見える点が少しずつ拡大し、迫り来る船の威容が少しずつ明らかになってゆく。ぐったりと垂れ下がった白い帆、漕ぎ手の頭のひとつひとつ、喫水線に描かれた、見覚えのない文様のいちいち。
 帰ってくる、彼が帰ってくるのだと、根拠のないままに彼女は悟っている。巻き上げられる砂塵にも、擦過傷に滲む血にすら気をとられることなく、急勾配を駆け下り、浜の砂を巻き上げて、よろめきながらも波打ちぎわに駆けよる。
「ウリクセース」
 気づくことなく彼女は口走っている。

「お目覚めですか」
 先ほどとは別の技師の声が聴こえ、閉じていた瞼をおずおず開く。薄闇に体を起こすと照明が点灯し、取り囲む人々の影がくっきりと落ちる。
「ここがどこか、わかりますか。あなたが誰かも」
 淀みなく彼女は返答を作る。息を吐く音が耳障りに響き、何人かが部屋をあわただしく出ていくが。質問は止むことなく矢継ぎ早に繰り出され、最後には彼女はひどく疲れてしまう。

ビギニング

 公共終端に目をやると、明滅がメッセージの到着を静かに示した。そのまま内容を読むことなく画面を落としてしまうと、彼は座っていたベンチを後にして歩きだした。

 川沿いに散り散りになって生える木々はもうすっかり落葉して、遊歩道はくすんだ暖色で満たされていた。薄く広がった燻煙に混ざって、どこか遠くで焼かれる芋が匂った。
 ここ数日のことを思い出さねばいけないような、強迫的な感覚に彼はとらわれていた。感覚は拭い去ることの出来ない、紙上に落とされた一滴のインクのように、心裡に染みついて消えることがなかった。
 コートのポケットに収められた公共終端に、歩きながら彼は触れようとし、辺りを見回してはそれを諦めた。そうした仕草は何度も、次第に間隔を狭めては繰り返されていった。
 昼過ぎで、少なくない人々が辺りを行き交っている。大きな犬に引きずられるようにして、宍色の上着を着た老爺が彼を追い越してゆき、関節の浮き出た子供らが続く。走り去った彼らの行く先、彼の視界の中央には、朽ちようとする巨大な橋が入る。
 欄干をくぐって伸びる遊歩道に、躯体がぼんやりと影を落としている。展開された黄褐色の簡易居住施設は、体を屈めて眠る住人たちを包みこみ、さながら繭のように橋桁から吊り下がって、幅広の支柱に沿って並んでいた。
 そうした住居のうちのひとつ、主を失って放置されたそれに、彼はそっと首を差し入れ、ちょっと振り返るそぶりを見せると、もう靴を脱いで体を滑りこませた。
 編まれた繭の中は暖かく、揺られながら彼は深く呼吸した。脱いだコートを脇に寄せてしまって、隣の気配を窺おうと息をひそめた。

 たぶん半世紀、もしかしたらもっと以前から、新陳代謝を放棄した思想。潤いを失い、とうに枯れ果てて、かえりみられることもなくなった言葉が、そうして講師の口を離れ、まばらな学生の脳裡を占めて、ほとんど吟味されることもないままに忘れられる過程のただ中に、彼もまた席を占めている。環境の保全のために要請される方法のそれぞれについて説明が繰り返され、幾人かが使う筆記用具が、控えめに音を立てながら紙面を汚してゆく。
 こめかみに埋め込まれた小型の装置を、皮膚の上から触りながら、彼は先月行われた手術のことを考える。公共終端のアカウントを介して、直接に個人に届く通達。ランプの黄色い点滅。医師から受けるひととおりの説明。手術室で見たロボット。疼痛。公共終端にダウンロードされた、容量の大きな取り扱い説明書。
 マイクとスピーカーを兼ねた、汎用の骨伝導インタフェイス。そんなものが必要となる環境は限られているはずで、雑踏だの作業場だのは問題にならない。日常的に轟音を耳にし、なおかつ正確な伝達を要求する場面を、すべての学生について想定すること。指し示される結論は明確で、それでも声を上げるものは限られている。取り扱い説明書の片端に、小さくゴシック体で印刷された四文字を、無感動に眺めたことを思い出す。
 行くかと声がかけられて、彼はそちらを振り返る。
 半地下の、照明の乏しい食堂のテーブルで、四人は言葉少なく食事する。筋の多い肉を何度も噛みながら、向かいに座る男子学生が予定を尋ねる。告げられた日付に少したじろき、バイトが忙しいとお定まりの言い訳を使う。どこで働いてるのか、いい加減教えてくれたっていいじゃないか。どうせ楽しい話にはならない。暗い底でうごめく全員が疲弊していて、咀嚼の音だけがしばらく響き、ときおり誰かがひどく咳き込む。
 集合と同じく曖昧に、彼らはふたたび散開してゆく。昼下がりの陽光が背中を温め、銀杏の臭いが鼻をつく。イチョウの葉が敷き詰められた構内の通路に、肝心の実はひとつもない。誰かが持ち去り食しているのだろうと、彼はぼんやりと考える。
 角を右に曲がり、横断歩道を渡るうちに、鼻腔を占めていた臭いは薄まってゆく。あるエリアからあるエリアへ。判然としない境界を越えて、彼は迷うことなく歩いていく。
 目指す喫茶店はひっそりと、常連でなければそれとわからないほど不活性に、しかし営業を続けていた。記憶にある限りはずっと、店先に掲げられていた外国の国旗は、ある時店内に移された。バーカウンターの後ろの壁に目をやり、褪せた鮮緑を確かめようとしても、剥き出しの壁だけがただ広がっている。
 二代目の店主は落ち着きのない動きで、琺瑯のポットからコーヒーを注いでこちらによこす。頑固に据え置かれていた値段が上がったのは昨年のことで、そんな風にして一切は瓦解していく。
 客がまばらであることを確かめて、彼はテーブル席に腰かける。コートを脱いで背もたれにかけ、カップに口をつけたところで、奥の席で雑誌を広げていた男が立ち上がり、よろめきながら外へ出てゆく。車の走り去る音が聞こえるが、彼が振り返ることはない。飲み干すと手早く代金を支払い、かけていたコートを手にとって店を出る。
 見知らぬ客がひとり、入り口に近いカウンター席に座っていたのが、どうにも気になって仕方ない。背後をそれとなく確かめても、それらしい影は見当たらない。
 光を返す川面を見つめ、そちらに背を向けて家々に呑まれる。

 かろうじて営業を続ける果物屋の二階に、彼は挨拶もせずに上がってゆく。かつての繁華街の成れの果て、朽ち果てようとする放棄されたビルの群の中に、組織の拠点は置かれている。
 待っていた数人に手を振って見せ、コートのポケットから紙片を取り出す。予定どおり受け渡しは行われたが、内通者から得られたゆく。パスを生かす手立てがない。優秀な技術者を失って、彼ら組織は電磁的な手立てを封じられたに等しい。
 部屋の隅には終端のクローンが、コードまみれになって置かれている。ひとりがそれをしばらく弄るが、やがて首を振って下へ降りていく。
 接続が支配の手段となり、切断が抵抗の象徴になっても、終端なしには立ち行かない部分は多い。矛盾の解消はある個人に委ねられ、そして当たり前のように彼女とともに破綻した。
 探索の過程で、彼女は触れてはいけない何かに触れたのだと噂されていた。形を持たない恐怖が速やかに、きわめて効果的に組織の隅々に浸透していった。

 隔壁を取り除いて造られた広間に、少しずつ人が集まってくる。
 計画を中止することは、この段階に入ってはもはや不可能だということを、構成員のすべてが諒解している。一方で想定外の損失が、実行にどの程度響くのかについて、正確に把握している者はひとりとしていなかった。
 長く続いた会議が終わり、幹部のひとりが彼を呼び止める。人が去ってゆく部屋に音もなく、冷たい空気が流れ込んでゆく。
 果物屋の裏口に連なる、錆びついた非常階段をふたりは登る。薄く張られた鉄板が、思いのほか大きく音を立てて軋む。どこか遠くから煙が広がり、すこしずつ粘膜が傷つくのがわかる。暖気が漏れだす屋上の排気設備に、吸い寄せられるようにして腰を下ろす。
 幹部はどこからか缶をふたつ取り出し、無言のままで彼に手渡す。小気味のいい音がしてプルトップが開き、湯気とともにポタージュの匂いが流れる。ゆっくりと飲み干すうちに体は温まってゆく。
 曇天が闇を濃くする夜に、窓に灯った明かりはまばらだ。遠くに走る幹線道路に、列なして流れる光ばかりが鮮やかで、それらのひとつひとつが装甲車輌であることを彼らは知っている。いくつか言葉を交わし、どちらかが彼女の死に触れようとしてやめる。
 目下の街のあちこちでは、巡回する夜警の警棒が光る。夜間外出禁止令の施行と増員。彼らとて面倒に巻き込まれたくはないのだろう。彼らが対象を見つけるよりも早く、対象が彼らを見つけられるように、警棒はことさらに大きく振られ、残像は弧を描きながら減衰してゆく。
 それら数少ない光点も、いずれは消え失せるのだと彼は思う。見届けたいと少し願って、そんな自分に驚きもする。真っ暗闇の夜はきっと、今よりもにぎやかになるんじゃないか。
 行くよ。もういいのか。ああ、ありがとな。
 巡回路を念入りに迂回しながら、彼は緩慢に寝処へと帰ってゆく。
 
 頭の中で音が鳴っている。侵襲性の政府広報。彼は闇の中で体を起こす。接近する低気圧についての情報が、委細を明らかにせずに報じられている。外を見ようとして窓辺に歩みより、乱雑に貼り付けられていた段ボールを引き剥がしていく。木枯らしが枯れ葉を巻き上げ、可視化された渦がそうして、うらぶれた通りを吹き抜けてゆく。
 床に転がったシリアルの紙箱。猫が描かれたマグカップ。痛み止めのガラス瓶。ディスプレイのアーム。脱ぎ捨てられた下着。いつもかぶっていたニット帽。ものどもが彼を包囲する。闇に浮かび上がった白いマフラーのことが、ほんの一瞬だけ脳裡をよぎる。
 遺品の処分のことを思って、おろおろと狭い部屋を見渡す。衣服は売るあてがついているし、本も写真も手許に残す。だから総数は多くならない。化粧品と、一足だけの靴がナップザックに収まる。コートを引っ掛け、姿見を瞥見して、冷たい空気の中へと歩み出す。
 コンビニエンス・ストアで着火装置を買い、包装を断ってポケットに収める。廃校の、立ち入り禁止の柵を乗り越えて、枯れ葉を踏みしだきながら前へと進む。先客の存在を示す焦げ跡が、真新しく焼却炉には残されていて、誰がやったのかと少し考える。
 厚い耐熱ガラスの扉から、焔の舌のふるまいが見てとれる。ねっとりと甘いような香りが隙間から漏れだす。煙突を覆う骨組みには蔦が絡まり、立ち昇る煙は突風に散らされる。ポケットに手を突っ込んで、転がっていたブロックに腰掛けてそれを見つめる。風が断続的に歓声を運び、彼は立ち上がって来た道を戻る。講義棟の外壁にへばりついたグリーンカーテンの残骸が、風に揉まれて分解してゆくのが見える。通りに出て、喫茶店を通り過ぎ、川の方へと歩いてゆく。
 山あいを足場にして空は広い。鈍色の固体のように見える雲塊は、変形を続けながら次々に流れ去ってゆく。橋の欄干の、粒子が積もったステンレスに肘をついて、彼はそういう空を見渡そうともするが、事象に比して感動は卑小にすぎるようでもあって、やるべなさに体をおこして遊歩道へと降りてゆく。道の向こうにベンチがひとつ、彼を待つようにして佇んでいる。

 住人の体臭が残る偽繭の中で、彼は公共終端の画面に触れる。
 メッセージはたった一度だけ、頭蓋の内側に響いて消える。差し出し人も送り先も記されていない、きわめて単純な短文だ。
「気をつけろ、同志たちはお前を疑いはじめている」
 体重を柔らかい内壁にあずけて、彼は呼吸を繰り返す。こんなことをいつまで続けるのかと彼は自問する。解答が示されないままに時間は経過する。
 冷たい水の中で、彼女は何を思ったのだろうか。

反響の部屋(仮題)

 油滴も風鈴の音も絶えて、おれは否応なしに内省的になっていった。ぴくりとも動かぬ寸白に苛立ちを感じ、そうしておれをここに追いやった連中について思い出そうとした。

 その巨泡に名はなかったが、世界最大の泡体であることに疑いをさしはさむ者もまたいなかった。
 実際、それは不必要に巨きかった。暖まるのに時間がかかり過ぎたし、声は端々に届く前に減衰してしまった。
 だから使われることだってほとんどなかった。おれの記憶にある限りではたったの二回。どちらも両家の会合の場としてだ。
 思い出したくもないそれら会合については今はいい。問題は三度目があったということで、集まった面々は心底うんざりした顔をしていた。
 井筒側にはそれでも、身内の失態からの出席であることもあり、しおらしい声をあげようとの努力をしていた。寸白の癒着がひどい者の、喉を引き攣らせての発声は、なるほど憐憫の情を湧き上がらせるだけの材料としては充分で、そうした目論見はある程度成功しているようだった。
 対してこちら、我らが筒井筒のみなさんときたらひどいものだった。ある者は寸白に潜り込み、ある者は腋腺から攻撃臭を放って、思い思いに不平不満を表現していた。敵意を剥き出しにする者はそれでも少数派で、はやく温かい家泡に帰りたいというのが、多くの者の偽らざる心境だったろう。
 おれとしてもまったく同感ではあったが、それにしても堪え性がない奴が多すぎるのではないか、横溢する大音声と臭気に、今や巨泡

 

   *

 

 E. aspergillum Owen号は予定どおりに軌道に投入され、設置された装置のいちいちは順調に稼働を開始した。
 外殻表面に設置された太陽光電池からの給電を受けて、Venusもまた目覚めつつあった。
 公式の取り決めの上では、Venusには一切の固有名が与えられなかった。ある技師が提案したVenusという名はだから、法的に妥当でないとして却下された廃案に過ぎなかった。
 しかしVenusに名前というものを仮定するならば、ふさわしいと言える唯一の選択肢でもあった。
 Venus――彼女の物理的な基盤は、Owen号の各所に配置された電算機と、それらを結ぶ通信網にあった。最大の計算資源を有するひとつは心臓部として、二重の隔壁の内側、均一な円筒の重心に置かれた。

   *

 

 (...)

 

   *

 物心ついてからの数十年、彼女の計算資源はもっぱら、Owen号の姿勢制御に費やされた。
 太陽系に張り巡らされた観測機の網が絡めとった、衝突の可能性がある天体の一覧を更新し、時には軌道を修正した。躯体の回転速度を計測し、必要に応じて減速、加速した。一切の調整は表面の、六十四のスラスターからのイオン推進によっておこなわれた。
 いまやOwen号は、親戚の最年長者となっていた。息子たちは父よりずっと軽くてすばしっこく、もっとおしゃれななりをしていた。

 

   *

 

 (…)

 

   *

 

 誕生から百五十年と少しして、Owenの観測機はリストにない小天体の接近を観測した。機体外の観測機群からの更新が行われなくなってから、すでに十余年が経過してのことだった。
 比推力の理論値を参照すれば、もはや衝突そのものが避けられないことは明らかだった。Venusは電力のほとんどを回避のため振り分けたのち、二世紀前に定められたとおり、二つのフェイルセイフを実行した。
 彼女はまず、居住区の住民たちに休眠状態に入るように働きかけた。住民の九割が休眠に入ったことを、眠殻の稼働状況から確認した。
 並行して彼女は、衝突予定地付近の太陽光電池を外殻の内部へと引き込み、代わりに殻外に泡状の素材の前駆体を塗布し、そうして自身も休眠に入った。
 反応による膨張の終わりと時を同じくして、衝突が起こった。

 

   *

 

 (…)

 

   *

 

 まだ若かったOwenは頭をひどく打ち、以前よりもふらつくことが多くなった。
 彼のよたよた歩きはまた、足を悪くしたこととも関係があった。消化器《プラント》ももう以前のようには働かなかったし、軽い神経症の兆候すらあったのだ。
 目覚めたVenusが目にしたのは、そうした想定を超えて深刻な被害だった。原因の調査をするよりも早く、彼女は斥候探査機の製造を開始した。もはや自分自身より他に、頼りにできる存在はいないと結論づけたのだ。
 人命と資源を長期にわたる危機に陥れ、そのうちの決して少なくない部分を奪い去っていった惨禍の直接の原因は結局のところ、エアバッグ作動試験の不徹底だった。彼女は一連の報告を送信しはしたが、返答を待っても時間の無駄だということもまた諒解していた。
 ほどなくして、少しばかりましな代用品の合成がはじまった。

 

   *

 

 (…)

 

   *

 

 数世紀が経過し、彼はまたいくつかの打撃を受けていた。
 今や自転はほとんど停止し、スラスターは軌道修正にのみ使われていた。
 これは彼女の判断によるものだった。彼女はもうずいぶん前に、信頼をおける外部機関との通信を確立するまでの、無期限の耐久期間に入ることを決定し、しかるべき手段のそれぞれを着実に実行していたのだった。
 Owen号とその住人を、できうる限り永らえさせること。
 できうる限り両者の、軌道投入の当初の姿をとどめること。
 ふたつの相反する命題の間で彼女は逡巡を重ねた。数ヶ月を費やして導き出された結論は、より存続の側に傾いたものだった。
 具体的には姿勢制御の方針変更と、それまで居住区に確立されていた生態系自体の大幅な改変。彼女は円筒を二分割し、半円を底とする二つの区画を指定し、それまで透明にとどめおかれていた外殻に手を加えた。
 Owen号とその住人は、より静的な恒常状態への移行を開始した。

 

   *

 

 (未完)

これはいわば迂遠な侵略なのだと博士は言った

 これはいわば迂遠な侵略なのだと博士は言った。われわれの記憶、われわれ自身のあり方を書き換えようとする一連の働きなのだと。そして最もたちが悪いことには、書き換えは富める者から順に進行するのだ。
 物語ることのできない物語。彼らは惜しいから話すのではない。彼らを書き換えた物語は、それが完全に異質なものであるがゆえに、彼らの発話機能によっては再現することができないのだ。

前略

車両を歩き前へと向かう。車掌と、誰か女性の声が聴こえる。興味もない相手との関係は切るべきだと声は言う。車窓から世界が見える。ガラスに閉じ込められた、錆びついた金属の骨格。凍てついた町。気がつけば車掌も女性の声も消えていて、僕は体がすっぽり入るだけの鉄の棺桶(その断面は台形である)に身を横たえている。単音から成る物悲しい音楽が聴こえている。世界は終わりを迎えたのだ。

ホゲーホホ

排水口が詰まり、子どもたちはどろどろしたものを掻き分ける。堰き止まった球体が発見され、水で洗うと光を通す。宝玉は今でも居間の中央に飾られている。

別の話。

都市の排水部、ある日の大水で私はそれを拾う。

別の話。

マルクスと器官。

別の話。

痛みを感じるという職業について。

別の話。

寒い場所で待っている人影について。

別の話。

何かを被って尋問を行う人物について。